2016年9月30日金曜日

想定内

しばし、料理を毎日行うことを目標に生きている。毎日。旅行に出かけたり、仕事で遠出をしたら毎日は物理的に無理になる。ので、旅行も遠出も避けに避けるわけだ。おかげさまでなにかしらの理由で毎日料理をするわたしは、この短期間ですでにぐいぐいわたしらしく在れている。そして、輪をかけて野菜に包丁を入れることに終始しあわせを感じている。何時間でも切っていられる。今夜、フレッシュの青々しい大原産のとうがらしを刻み、ゆい自然農園の三年味噌と味醂と砂糖でとうがらし味噌をつくった。おいしいごはんの友完成、だけど、刻んだあとの掌がひりひりと痛い。今もまだ痛い。気合いをいれて刻みすぎたか…痛くなるかもしれないなと思いながら刻んでやっぱり痛い。想定しながらもダイレクトに挑み、なにがどうなろうと刻み続けた。あとは目の前のすべてを受け入れる、美味いとうがらし味噌と掌。

2016年9月29日木曜日

役柄

明日から、コンディションが良ければ週二ペースで夜温泉に通う生活はじまりまーす、もとい、はじめまーす、もとい、はじまっちゃいまーす、まーす、まーす、まーす(こだま)…触れたことのない扉をひとりでぐいぐい開放中。そして「ほとんどの人格は役柄なんです」という言葉が腑に落ちてきた、最近。オーケー。

2016年9月27日火曜日

伊藤大助さん

クラムボンに出会ったのはたしか12、3年前で知人に勧められて聴いてみて、その日から割に日常的に聴くようになった。そして今日、いつものようにクラムボンの映像をYouTubeで見ながら鼻歌歌っていたら、やだなんかドラムのひと惹かれる、って、はじめて意識してん。そして気づいてん、わたし、彼の名前知らない。調べたら伊藤大助さんとおっしゃっる。そんなんありですか。こんなんで公然にファンとか言っちゃうときもありましたけど大丈夫ですか。すいませんごめんなさい。ときめきっていつも突然。どこにどういうふうに惹かれたのか気になる方は、直接桑原に訊いてくださいよ。

乖離

わたしたちはわたしたちであれているのか。わたしはわたしであれているのか。わからない。あなたはあなたであれているのか。わからない。シナリオから外れることへの意思。

2016年9月26日月曜日

炊いたん

京都に来てから野菜の調達がスムーズなので断然に料理がたのしい。そしてこの地の食文化や在来種の野菜に触れている日々である。ああ、いとおし。ひとつ覚えた料理がある。「万願寺とうがらしの炊いたん」である。この料理名には二点の注目すべき点がある、皆さんお解りか。とは言えずいぶんシンプルな問いなので考えるほどでもないが、まず、万願寺とうがらしは京都の在来品種である。この9月、市内では万願寺とうがらしの最盛期で、大原の直売所ではどちらの農家さんもこの万願寺とうがらしを店頭に並べていた。京都の夏の代表的な野菜である。そして、ここ京都では煮たものをおおよそ「炊いたん」と呼ぶ。「おばんざい」(お惣菜のこと)もいかにも京都の言葉と感じるが、「炊いたん」も同列である。かぼちゃの煮物、ではない、かぼちゃの炊いたん、である。ひじきの煮物、ではない、ひじきの(さあ、皆さんご一緒に、せーの、)炊いたん、である。正直東日本出身者のわたしには、馴染みのない他所者の言葉である。がしかし、この万願寺とうがらしが実においしく、よく買っては食べた。とうがらしと言えど、すこし肉厚の実に加えて味はジューシーで甘みがある。また、色が緑と鮮やかな赤があり、その赤い色がほんとうにうつくしい。料理の彩りにも一役買うわけです。そんな万願寺とうがらしを縦に二つに切り分け、種をきれいに取り除き、斜めに切って菜種油で炒める。すこししんなりしたら酒ときび砂糖を振りかけ、じゃこを投入し更に火をとおす。くたっとなる手前で醤油と胡麻油をまわしかけ、くたっとなるまでほっておく。水分はよーくとばす。最後に白胡麻を和えて完成。冷蔵庫で一週間以上は軽くもつ、ごはんのお供である。これを大原の地元のおばさまの作ったものを食べてみて、見よう見まねで作ってみた。大変おいしい。ちなみにじゃこを使う料理は家庭でも一般的で、椎茸と昆布と山椒の実とじゃこの炊いたもの(炊いたん)もいただいた。たしかにこの組み合わせはいかにも京都という印象、お土産品のイメージも強い。だけど家庭でも無論ふつうにつくる。他には郷土料理で、笹の葉に包まれた鯖のお寿司もいただいた。絶品だった。すべて大原でいただいた。また、今大原ではすだちが最盛期で、すだちが日常的に売られている土地で生活することがはじめてなわたしは、炭酸水に絞って飲むことくらいしか実践できていない。悔しい。10月、秋本番を迎えたらさらにどのような食材に出会えるのか、とてもたのしみです。

おにぎりのこと

朝からつむぎやの松浦さんのインスタグラムに癒される。隣に座ったおじさんのおにぎりに触れるそのこころ持ち、ほんとうに些細なことだが、そこには愛でるという意識があるように思い、そういうのすごく好きだなと思った。なんでもない些細なことこそが日常の形成の根っこと思う。また、言葉にすることで意識はまたすこし大きくなる。ありがとう。https://www.instagram.com/p/BKzEi3iDY-g/?taken-by=matsu_tsumugiya&hl=ja

2016年9月25日日曜日

ピーース

数年前の長野・望月時代に某大手企業のWebへの掲載のために、一日(たしか一日だったと思う)密着取材を受けた。今までやってきたこと、思うこと、農業と工芸の暮らしについて、インタビュー方式で半生を語ることになり、それがまるごと掲載されたのだった。あまりに恥ずかしくて自身では公表をせず、取材を受けたことさえ誰にも話さなかった。※関係者の皆様申し訳ありません。がしかし、このたびそのコーナーが書籍化されることになり来年一月に単行本として発売されるとのことで、取材時にお世話になったエディターと校正のやりとり。思えば、長野時代はなにかと取材の依頼があり、さまざまな媒体に載せていただくことになった。農業やりながらうつわの展覧会の企画の二足のわらじ姿は、機から見ておもしろかったようです。そういう視点で自身を客観視すると、今の暮らしははたして他人の眼にどう映るのか、すこしばかり気になります。けれど現在は自己内省。がしかし、すこぶる健全な暮らしをしています。畑もまじめに再開したいなー。ピース。