2017年1月12日木曜日

2017/01/12 雑記其の二

行ったり来たりをかれこれ125回くらい繰り返している。もはや言葉が伝わらない。もはや道を見失った。それではまったく、Where am I? Who am I?である。そんな中、ラッキーガールは快活な言葉をわたしにくれ、太宰治は世の中に絶望していた。本屋を三軒はしごして本を四冊買った。今年は児玉清さんもビックリの読書量を目指す。

2017/01/12 雑記

『what happened is all good - 起こってしまったことはみんなよいことである』。同意、同意、なにをどう捉えても同意。「時はそのように流れる。むかしのことはあまり思い出さない。後悔というのはしたことがない。ああすればよかったとは絶対思わない。」すごくわかる。こういうことを考えていると、例えば人にとって娯楽とはいったいなんなのか、って考えちゃう。他愛もない楽しさ、嗜みのようなもの。なぜって?娯楽の要素がその掲題には馴染まないような気がしてね。

2016年12月27日火曜日

覚醒

真実か過ちか。「わたしはラッキーガールなんです」と笑顔で話す彼女と、しばしの交信。横断歩道を渡りながら、ひらめきを受信。彼女はいったい何人目の登場人物なのか。気配。ただわかるのは、覚醒には真逆のふたとおりの意味があるってこと。年末もちかいので、わたしはなるべく目の前のことに注力する。昨日は茶筅を買いました。ようやくお抹茶生活はじめます。

2016年12月22日木曜日

清廉

しばし山茶花に見惚れる。山茶花の、その、花としての生態は、まとも、である。一枚一枚、花びらが散ってゆく。最後に露わになる花柱がもの寂しげに、そよそよと在る。つまり花の印象とは、おそらくそのようなことではないかと思うのです。花の姿のまま地面にぼとりと落ちる椿の儚さ、潔さ、個性、も好きだったけど、山茶花の姿は、なんというか、まともにうつくしい。例えばそんなひとになりたいなあと、考える。

2016年12月17日土曜日

襲撃

足りない。あからさまに足りない。不足という文字の中でもがき苦しむこと数ヶ月、12月も後半へ突入です。この数ヶ月に比べたら、半月の時間なんてきっとあっという間に違いなく、そしてわたしはまだ年賀状を買ってもいないことに気がつくのでしたオーマイガー。半月後はお正月、お正月まであっという間、そう、自ら言っていることになる。毎日結構めまぐるしいのです。とにかく、早くソファを取り戻さなければならない。あの、村上春樹さんの長編を八ヶ月で読破したあのソファを、ユーシさんに譲ってもらったあのソファを、二日に一度うたた寝をしたあのソファを…いい加減荷物をまとめて、質の高き営みを再現しなくてはいけない。そして最近は(別に今はじまったことでもないが)、古陶磁器ばかりに意識が向きます。陰と陽、静と動、そしてこの世が曼荼羅のように配置され、時空を超えて過去と未来をつなぐものへの尊き想い、暮らしに思想を育みたい。

2016年12月14日水曜日

はじまる

前夜。あらためて彼方を知る。もちろん過去のことだ。ほんとうなのかなと、再度意識を向けるもどうにも届かない、それはつまり、そう、過去の彼方だ。安堵する。時間は唯一のmedicine、オーケー、そのようだ。ありがとう。こころから思うよ、ありがとう。大阪と兵庫の境目を行ったり来たりする、そんなはじまり。

2016年12月13日火曜日

山茶花と雨

甘い甘いお菓子を頬張っていたら、突然あれやこれやがどうでも良くなったのでした。そして、地球の人類たちの争いや戦いがなぜなくならないのか、そんなことでは、きっと、いつまで経っても、なにも、変わらない。そして、変わったほうがいいことと、変わらなくていいこととが混在し合う日々に意識が遠のいてゆくのでした。京都にて山茶花が咲き乱れるさまに見惚れる日々。