2016年12月5日月曜日

人間万事塞翁が馬

足りないものは社会性だなあ、あのさあ、そこ、意外にたいせつなんじゃないかと思うのだけれど。さまざまな意味の社会性。盗んだバイクで走り出すほどさすがにやんちゃではないが、人のふりというものは、なんだかこう、異様だ。最低限のしあわせでいい、と、この年齢になって思うのは、今までいかに地場を硬めたかったかという名残である。最近は手放すという感覚よりも、一抜けるという感覚がふさわしく、師走には絶好の日々だ。12月っていつも不思議なことが起こるね。今日はこれからデートです。夜の四条から一乗寺へ。

2016年12月4日日曜日

Yes

言葉は偉大であり煩わしいものであるなと生きていて思う。脳みそや胸の奥に留まり、それは冷え固まったり、熱くとろけたりする。身体を日々シンプルにしておくべきか、襞をたくさんつくっておくべきか、もはやわからない。どっちだっていい、どっちにせよ多くの人類が結果的にどっちだっていい動きを自然に採用しているのではないか。ともかく、Yesとうつくしく定義できる、オノ・ヨーコみたいな女性になりたいなと思って生きているけれど、Noも含めて生きていかなければならないシーンに最近落ち込みがちだ。でも、それが理由で半月以上更新が止まっていたわけではない。いつものぞいてくださっている方たちへ、ありがとうございます。

2016年11月15日火曜日

2016/11/15 雑記

音楽に救われる日々。わたしはずっとそんな人間だったと思う、これからも。読書よりも料理よりもうつわよりも、音楽、という日々はたしかに存在するのだ。

第六感

第六感の日々。なにかが違うときって、交差した十字がもともとある起点に重ならない感じで、結構それはあからさまなので、すぐわかるといえばわかるわけです。感覚を言葉にするとそういう感じ。わたしの行動のすべてはそれが基本。条件などはほとんど無視です。社会的に後でしっぺ返しくらうこともあるし、いけないって思うこともあるんだけど、末端まで来てもう進めないって判断したときは、潔い結果を見せる覚悟はある、ぶれまくった十字を抱えて生きるよりは覚悟を差し出す方がわたしはわたしらしいなって思います。という、本日の徒然。

2016年11月10日木曜日

自在と孤独について

わたしは車の運転が大好きで、どこでも、どこまでも車を走らせることができる、女性にはおそらく多くないタイプです。しかも、マニュアル。免許を取ってから乗り換えてきた車はすべてマニュアル。運転とは、つまりマニュアル操作のことだと思っているひとりである。車中泊も苦にはなりませんし、むしろ宿泊代が浮くからウエルカム。温泉に入る理由もできるし、そういうの嫌いじゃないです。だけども思うのは運転が大好きって、ある種の孤独だなあと。だって、どこにでもひとりでいけちゃう。車の運転席というのは最適なひとりの空間であり、思考も身体も、自身の操作でどこにでも運ばれる。いつどこに立ち寄ろうが、自分の勝手で思いのまま、なのである。こんな自由なことを率先、優先して、直近も年間2万キロ以上を走るわたしは一体。と、冷静な今夜。本日は京都市の蓬莱堂茶舗さんにて音楽話とたのもしい物々交換。ありがとうございます。

2016年11月8日火曜日

ニュートラル

不器用が故に、ニュートラルな気持ちこそ見せつけられないことってある。そんな意識を背負う人生もある。転生を得るが故に、多感であることがニュートラルなひともいる。基準なんて、あってないようなもの。

本質

プロコフィエフ作曲、バレエ音楽「ロメオとジュリエット」の『モンタギュー家とキャピュレット家』が頭から離れなかった昨夜、そして例のリサイタルのチケットが届く。「夢だけど、夢じゃなかった!」な、感触をしかと抱きしめたい。演奏の上手さ(とはっきり言いますけれど)に、胸打たれたのは、わたしが変わってゆく証なのだと思う。ニュアンスや雰囲気は、もう要らん。関わる以上、いつだって凛とあれる自分でいたい、いる、ことがこれからの方向性である。そして、精進の10年がはじまる。